P--1219 P--1220 P--1221 #1御俗姓    御俗姓 【1】 それ祖師聖人(親鸞)の俗姓をいへば、藤氏として後長岡の丞相[内麿公 の]末孫、皇太后宮の大進有範の子なり。また本地をたづぬれば、弥陀如来の化 身と号し、あるいは曇鸞大師の再誕ともいへり。しかればすなはち生年九歳 の春のころ、慈鎮和尚の門人につらなり、出家得度してその名を範宴少納言の 公と号す。それよりこのかた楞厳横川の末流をつたへ、天台宗の碩学となりた まひぬ。そののち二十九歳にして、はじめて源空聖人の禅室にまゐり、上足の 弟子となり、真宗一流を汲み、専修専念の義を立て、すみやかに凡夫直入の真 心をあらはし、在家止住の愚人ををしへて、報土往生をすすめましましけり。 【2】 そもそも今月二十八日は、祖師聖人遷化の御正忌として、毎年をいはず、 親疎をきらはず、古今の行者、この御正忌を存知せざる輩あるべからず。こ れによりて当流にその名をかけ、その信心を獲得したらん行者、この御正忌を P--1222 もつて報謝の志を運ばざらん行者においては、まことにもつて木石にひとし からんものなり。しかるあひだ、かの御恩徳のふかきことは、迷盧八万の頂、 蒼溟三千の底にこえすぎたり、報ぜずはあるべからず、謝せずはあるべからざ るものか。このゆゑに毎年の例時として、一七ケ日のあひだ、かたのごとく報 恩謝徳のために無二の勤行をいたすところなり。この一七ケ日報恩講の砌にあ たりて、門葉のたぐひ国郡より来集、いまにおいてその退転なし。しかりとい へども未安心の行者にいたりては、いかでか報恩謝徳の儀これあらんや。しか のごときの輩は、この砌において仏法の信・不信をあひたづねてこれを聴聞 してまことの信心を決定すべくんば、真実真実、聖人(親鸞)報謝の懇志にあ ひかなふべきものなり。 【3】 あはれなるかなや、それ聖人の御往生は年忌とほくへだたりて、すでに 一百余歳の星霜を送るといへども、御遺訓ますますさかんにして、教行信証 の名義、いまに眼前にさへぎり、人口にのこれり。たふとむべし信ずべし。こ れについて当時真宗の行者のなかにおいて、真実信心を獲得せしむるひと、こ れすくなし。ただ人目・仁義ばかりに名聞のこころをもつて報謝と号せば、い P--1223 かなる志をいたすといふとも、一念帰命の真実の信心を決定せざらんひとび とは、その所詮あるべからず。まことに「水入りて垢おちず」といへるたぐひ なるべきか。これによりてこの一七ケ日報恩講中において、他力本願のことわ りをねんごろにききひらき、専修一向の念仏の行者にならんにいたりては、ま ことに今月、聖人(親鸞)の御正日の素意にあひかなふべし。これしかしなが ら、真実真実、報恩謝徳の御仏事となりぬべきものなり。あなかしこ、あなか しこ。  [時に文明九年十一月初めのころ、にはかに報恩謝徳のために翰を染めこれを記すもの なり。] P--1224